鹿児島出身クリエイターに訊く。「地元に帰りたくなる瞬間」って?
「いつかは地元に帰って暮らしたい」。自由な暮らし方や働き方に注目が集まるいま、そう考えるクリエイターも多いのではないでしょうか。ふるさとを思い出して、ふと帰りたくなる瞬間。そのときの気持ちには、地元の魅力がたくさん詰まっているはず。
今回は、さまざまな業界で活躍する鹿児島出身のクリエイター5名に、思わず帰りたくなる瞬間や、地元を離れたからこそ感じる鹿児島市の魅力について訊きました。
- 文・編集:市場早紀子(CINRA)
公開日時:2020/01/08
地元のクリエイターとMV制作も。「鹿児島だからこそ」の音が根づくバンド
村上学さん(テスラは泣かない。)/ ミュージシャン
バンド「テスラは泣かない。」のボーカル&ギターを担当する村上学さん。宮崎生まれ鹿児島育ち。中学時代より鹿児島で過ごし、鹿児島大学在学中に「テスラは泣かない。」を結成。すべての楽曲の作詞作曲を務める
Q.一度離れたからこそわかった、鹿児島の魅力は?
鹿児島は、娯楽施設だけでなく、クリエイター界隈のコミュニティーや交通網も整っています。むしろ、街全体がコンパクトに成り立っているので、東京より便利かもしれません。
もちろん自然や、食の豊富さ、独自の文化や歴史も大きな魅力。鹿児島に住んでいたころは、スタジオ練習やライブのあとに、バンドメンバーの吉牟田とよく温泉に行っていました。ミーティングと違って自然体になれるので、いろんなことを話していた気がします。
Q.鹿児島市のイメージと印象的な思い出を教えてください。
ずっとお世話になっていた鹿児島市のライブハウス、CAPARVO HALLですね。楽屋のベランダから桜島が一望できるので、ツアーで県外から来たバンドはみんな、桜島の噴火を目の当たりにして驚いていました。「わりと日常的なことなんですよ」と毎度説明していた思い出があります。
また当時住んでいた自宅から徒歩圏内に、マリンポートかごしまがあったので、園内をぐるぐると2、3時間歩きながら歌詞を書いていました。
桜島フェリーからの景色(画像提供:村上さん)
Q.「鹿児島に帰りたいな」と思う瞬間は?
テレビのバラエティー番組や旅番組に観光地としてよく取り上げられるので、それを見るたびに帰りたくなります。また、東京と鹿児島では、お蕎麦の汁の味が全然違うんです。最近は慣れましたが、鹿児島特有の甘い味が不意に恋しくなるときがあります。
Q.鹿児島での経験が活きたと感じる作品や仕事を教えてください。
鹿児島には、良い意味でガラパゴス的な文化の発展がある。個人的な意見ですが、音楽にもその影響はあると思います。たとえば、言葉のイントネーションの違いは、歌詞の乗せ方にも違いを生みます。そういった、地元のライブハウスで聴いた音が、バンド全員の音楽ルーツとして根づいているのは大きな強みですね。
また、自分たちの『Like a swallow』という楽曲には、「帰る場所」という想いを込めています。MVは、鹿児島の南大隈町で地元の撮影チームと制作したのが、とても貴重な経験になりました。
『Like a swallow』のMV撮影の様子(画像提供:村上さん)
Q.今後どんなかたちで地元に貢献していきたいですか?
ぼくたちが地元で育んださまざまな経験を、音楽や歌詞に昇華させて、アウトプットすることです。仕事をきっかけに、県内のさまざまなジャンルのクリエイターとのつながりもできたので、また一緒に音楽制作やものづくりができたらうれしいです。
鹿児島にも素晴らしい音楽イベントがたくさんあるので、コロナ禍での開催中止は歯がゆい気持ちになります。ですが、ぼくたちは「鹿児島魂」を忘れずに、また必ず地元でライブがしたいです。
情報を消費するのではなく「感じる」ことができる街
森祐介(もりすけ)さん / コメディアン・動画クリエイター
コメディアン・動画クリエイターの森祐介(もりすけ)さん。1990年、鹿児島県姶良市生まれ。喜劇俳優。SNSでの動画投稿がきっかけとなり芸能活動を開始。非言語で理解できる「ヴィジュアルコメディー」を軸としたコメディー動画で、「残念なイケメン」と一躍話題に。動画の総再生回数は7億回超。さまざまなPR動画を個人で企画制作し発信する
Q.一度離れたからこそわかった、鹿児島の魅力は?
日々の生活で得る、情報量が圧倒的に少ないことです。現代は、ネット上だけでなく街にも情報が多すぎます。渋谷を歩いても視界に入るのは、人、人、人、10円玉、ガム、ゴミ……。ぼくが下を向いて歩いているからかもしれませんが、そうしないと危なくて前に進めないんです。それに10円得します。
それにくらべ、鹿児島は人の量がちょうど良い。桜島やまわりの景色をゆっくりと見ながら歩けます。情報を「消費する」というよりは、見たもの触れたものから情報を「感じる」ことができます。ただ10円はなかなか落ちていません。
「桜島どっかーん! なウォーターフロント。飛びすぎて頭が切れました」(画像提供:もりすけさん)
Q.鹿児島市のイメージと印象的な思い出を教えてください。
数年前に帰省した際、市内の「維新ふるさと館」に立ち寄りました。明治維新で重要な役割を果たすなど、歴史的に厚みのある土地だとあらためて感じ、それ以来、友人たちに「鹿児島は日本の東京なのだ」と説明しています。自分でも何を言ってるのかはわかりません。
Q.「鹿児島に帰りたいな」と思う瞬間は?
・満員電車に乗ったとき
・海鮮料理屋に行ったとき
・スーパーに地鶏の刺身が売っていないとき
・ビルの上にある公園の芝生をありがたがって、うれしそうに寝転ぶ若者を見たとき
・ICカードの残高不足で改札で止まってしまい、後ろから舌打ちが聞こえたとき
・温泉がたけぇ
・銭湯がせめぇ
「学生時代は、帰り道でたまに桜島と錦江湾が見える公園に寄り、ジャングルジムの上でボーッと景色を眺めることが日課でした。数年前にその公園に約10年ぶりに行き、あまりの素敵さに泣きました(笑)」(画像提供:もりすけさん)
Q.鹿児島での経験が活きたと感じる作品や仕事を教えてください。
移住を検討しているクリエイターの方に向けて、鹿児島の魅力をお伝えするトークイベントに登壇したことです。そのとき一緒に登壇した、イラストレーター・アーティストの篠崎理一郎さんは、じつは高校の先輩。在学中は面識がなかったのですが、ぼくの活動を見ていてくださり、SNSのダイレクトメールから繋がり、いまでは飲みに行く仲になりました。
2019年に行われたトークイベントの様子
Q.今後どんなかたちで地元に貢献していきたいですか?
ぼくの活動は、非言語で理解できる短尺のショートコメディー動画がメインなので、日本だけでなく、台湾からブラジルまでファンがいます。なので、鹿児島の魅力を日本全国、そして世界に伝えられるようなものをつくって地元に貢献したいですね。
鹿児島市に生まれていなければ書けなかった作品がある
汐見夏衛さん / 小説家
小説家の汐見夏衛さん。1986年、鹿児島市生まれ。教員の仕事をしながら小説家としても活動をスタートし、2014年『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら』(スターツ出版)でデビュー。主な著作は『夜が明けたら、いちばんに君に会いにいく』(スターツ出版)、『ないものねだりの君に光の花束を』(角川書店)、『さよなら嘘つき人魚姫』(一迅社)
Q.一度離れたからこそわかった、鹿児島の魅力は?
帰省するたびに「なんて時間がゆっくり流れているんだろう」と感じるようになりました。街中にいても、ふとした瞬間に桜島の姿が見えることで、大地の息吹をつねに感じることができる土地だとあらためて思います。
Q.鹿児島市のイメージと印象的な思い出を教えてください。
生まれも育ちも鹿児島市で、天文館でよく遊んでいました。高校生のころは、帰りがけによく中央駅に寄って、紀伊國屋書店で本を買ったり、妹や友達と買い物やお茶をしたりしたのも思い出です。
街のなかを市電がゆったりと通り過ぎていく向こうで、桜島の噴煙が青空を昇っていく光景は、ほかの土地ではなかなか見られない独特なものだと思います。
以前帰省した際に家族で訪れたという、いおワールドかごしま水族館の様子(画像提供:汐見さん)
Q.「鹿児島に帰りたいな」と思う瞬間は?
家族と電話をしたときや、地元の風景を思い出したときです。いまは新型コロナウイルスの影響で帰省できない分、これまでで一番強く家族や故郷のことを思っています。
一年半前の帰省では、若者向けのおしゃれなお店や、若手クリエイターさんのお店が増えていたのが印象的でした。鹿児島も時代に合わせてどんどん進化しているなと感激しました。
Q.鹿児島での経験が活きたと感じる作品や仕事を教えてください。
デビュー作の『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』という小説は、子どものころに知覧の特攻平和会館に行ったときに感じたことを形にしたものです。鹿児島に生まれていなければ書くことのなかった作品だと思います。
小説を書くうえで、自然や街並みの描写をするときは、地元の風景が自分のなかに染み込んでいるなと感じます。また、鹿児島には優しい人が多く、そこで築いた人間関係が自分の心を豊かにしてくれたと思います。執筆で登場人物の心理描写を考える際も、非常に色濃く反映されている要素です。
(左)汐見さんのデビュー作『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら』(スターツ出版)、(右)その続編『あの星が降る丘で、君とまた出会いたい。』(スターツ出版)
知覧の特攻平和会館(写真協力:公益社団法人 鹿児島県観光連盟)
Q.今後どんなかたちで地元に貢献していきたいですか?
ありがたいことに、地元出身作家として書店さんが拙作を大きく展開してくださったり、新聞やテレビ番組でインタビューしていただいたりする機会が増えました。見た方に「おお、あの人か!」と思っていただけるよう、今後の作品づくりをがんばり、応援してくださる地元の方々に少しでも貢献できたらうれしいですね。また、鹿児島を舞台にした作品もいつか書きたいです。
鹿児島の気持ち良い環境が、クリエイティブを生み出す
REINA NICOさん / アートディレクター・グラフィックデザイナー
アートディレクター・デザイナーのREINA NICOさん。いちき串木野市出身。鹿児島市内の赤塚学園デザイン専門学校を卒業後、2000年に上京。デザイン事務所・TLGFなどで経験を積み、2007年に独立。現在、雑誌『赤ちゃんとママ』、『OZmagazine』などのエディトリアルデザインから、広告、ロゴ、CDジャケットのデザインまで幅広く手がけている
Q.一度離れたからこそわかった、鹿児島の魅力は?
自然に多く触れられる美しい場所がたくさんあるので、鹿児島にいると見える世界がクリアになる感覚があります。地元に、照島海岸という美しい場所があるのですが、小さいころから、遊ぶときも考え事をするときもそこに行っていました。いまでも帰省した際は、友人とそこで朝日を浴びながら朝食を食べることがあります。鹿児島では、クリエイティブな思考を育む、贅沢な時間が過ごせると思います。
夕日が絶景だという照島海岸(画像提供:REINA NICOさん)
Q.鹿児島市のイメージと印象的な思い出を教えてください。
市内に通学していましたが、大きな桜島がいつも見守ってくれているような安心感がありました。また、都会と田舎のバランスが整っていて暮らしやすく、美味しいご飯屋さんがたくさんあるのも良いところ。
Q.「鹿児島に帰りたいな」と思う瞬間は?
忙しい仕事がひと段落したときですね。地元には楽しくて素敵な友人がたくさんいるので、みんなに会いに行きたくなります。いつでも帰りを待ってくれている「人の温かさ」はかなりの魅力。
最近では、素敵なお店がどんどん増えていて、毎回帰省するのが楽しいです。若い世代が、地産の食べ物や焼酎といった地元ならではの文化を引き継ぎながら新しいことに挑戦しているせいか、街全体がワクワクしている空気感があって素敵です。
いちき串木野市にあるTeboyaという花屋のつながりで出会った、楽しい仲間たち(画像提供:REINA NICOさん)
「実家の母がつくる朝ご飯は、いつもカラフルで元気になります」(画像提供:REINA NICOさん)
Q.鹿児島での経験が活きたと感じる作品や仕事を教えてください。
鹿児島出身ということでお話をいただいた、故郷・いちき串木野市のフリーマガジン『ALUHI』と、薩摩川内市の体験型旅プログラム『きゃんぱく』の公式ガイドブックのアートディレクションの仕事です。知り尽くした地元の案件だけに、アイデアがどんどん出てきます。鹿児島の仕事を通じて、現地在中のクリエイターの方とも交流が生まれるので、とても良い刺激なっています。
REINA NICOさんがデザインを手がける、いちき串木野市の情報誌『ALUHI』(左)と、『きゃんぱく』(右)(画像提供:REINA NICOさん)
Q.今後どんなかたちで地元に貢献していきたいですか?
いまできることは、『ALUHI』『きゃんぱく』などを多くの人に知ってもらい、鹿児島の素晴らしさを伝えること。そして、今後は、それをきっかけに出会った地元のクリエイターさんたちと「鹿児島発信のデザインはおもしろい!」と思ってもらえるような取り組みを県内外でしていきたいです。
美しい街並みや暮らしから、歴史を身近に感じられるのが魅力
山元翔一さん / 編集者
編集者の山元翔一さん。1991年生まれ、牧園町高千穂出身。大阪市立大学を卒業後、2つの会社を経て2016年に株式会社CINRAへ入社。カルチャーメディア「CINRA.NET」では取材を通じて、カネコアヤノ、折坂悠太、七尾旅人、曽我部恵一など、さまざまなミュージシャンと向き合い、インタビューやコラム記事の制作をはじめ、イベントの企画・運営を担当。探求テーマは、日本のフォークロア
Q.一度離れたからこそわかった、鹿児島の魅力は?
時間の流れが緩やかで、空気がきれいなところでしょうか。また、自分の地元には日本神話の起源につながる「天孫降臨」を題材にした「霧島九面太鼓」という伝統芸能があり、小さいころから身近な存在でした。東京に暮らしていると、めまぐるしい生活スピードのなかで歴史や伝統を感じることはなかなか難しいですし、日常の外にあるちょっと特別なものとして認識しがちです。でも鹿児島の場合は、過剰な都市開発が行われていないこともあり、土地に根づいた歴史を身近に意識させられる機会が多く、魅力的だなあと思います。
Q.鹿児島市のイメージと印象的な思い出を教えてください。
友達や家族と鹿児島市内に遊びに出かけた際の、市電を使って天文館に向かう光景や感情を印象深く思い出します。街の中心部を甲突川が流れ、ナポリ通りや天文館通り、照国通り、甲南通りなどを軸にきちんと整備された街のつくり、明治時代から(場所によっては江戸の時代から)地続きであることを感じさせる雰囲気ある街並みは、ほかにはない美しさだと思います。地震や空襲で焼け野原になった経験を持つ東京や横浜、1,000年以上の歴史がある奈良や京都とは、また違う歴史を感じられます。
Q.「鹿児島に帰りたいな」と思う瞬間は?
誰にも会わずにゆっくりしたいときでしょうか。地元の高千穂は温泉も有名なので、温泉に浸かったり散歩したり静かに過ごすにはおすすめです。
また、以前帰省した際に、鹿児島市内に小さいながらも文化的なコミュニティーが存在していること知りました。そこでは、サッカーや音楽、お酒など興味の幅を緩やかに越えた仲間とさまざまな情報交換をしているそうです。東京では逆になかなか得られない質のつながりなので、クリエイターのような人たちにとってもいまの鹿児島は面白い環境だと思います。
「とにかくゆっくりしたいときに、本当に何もない地元のことを思い出します」(画像提供:山元さん)
山元さんの実家近くにあるというお気に入りの温泉。入浴料も390円と破格の安さ(画像提供:山元さん)
Q.鹿児島での経験が活きたと感じる作品や仕事を教えてください。
情報や触れられるコンテンツ・文化が限られていたからこそ抱いていた「飢餓感」が、いまの仕事全般に役立っているように思います。いまはインターネットやSNSがあるので状況が変わっているかもしれませんが、東京のように膨大な選択肢がないからこそ、「この店」っていうひとつのところで、ある種の歪さや偏りもひっくるめて感性を磨くことができるのは、いまの時代におけるローカルの魅力のように思います。そうやって、あるひとつを起点とした、雑多かつイレギュラーな文化的な出会いを通じて抱く居心地の悪さ、未知なるものへの恐怖の入り混じった何とも言えない気持ちは、メディアの仕事に携わるようになる原体験なのかもしれません。
当時好きだったバンドが来た際に、チケットを買えなかったけど諦めきれずに駆け込んだという思い出のライブハウス(画像提供:山元さん)
Q.今後どんなかたちで地元に貢献していきたいですか?
音楽や映画、文学など芸術・文化を愛する若者たち、あるいは実際に活動されているクリエイターの人たちにとって、鹿児島が誇りに思える街になれば良いなあと思います。イベントなのかメディアによる発信なのか、あるいは街づくりそのものなのか、それはわかりませんが、編集者ならではの視点で何か自分にも手伝えることはあれば、挑戦したいです。
クリエイティブシティーとしての伸びしろがある
体だけでなく心も癒す力がある鹿児島。地元に帰って家族や友人の温かさに触れ、のどかな自然のなかに身を置くことで、クリエイティブに向かう感性も磨かれるのかもしれません。
今回お話をうかがった5名がそれぞれ幅広いジャンルで活躍されているように、いま鹿児島市のクリエイティブシーンはとても盛り上がっています。
1月28日(木)には、地元でユニークな活動を展開する株式会社BAGNの坂口修一郎さん、ホテルニューニシノの西野由紀子さん、CALMAの岡本亮さんが登壇されるトークイベントが、オンラインで開催されます。クリエイターがいきいき働ける鹿児島ならではの環境のお話や、クリエイティブシティーとして成熟しきれていないからこその面白さなどについて、余すことなく語られます。みなさんの働き方の選択肢を広げるきかっけになるかも?