【クリエイター対談 vol.7- 佐藤孝洋 × 黒丸玲奈】

鹿児島市ではクリエイティブ産業振興の一環としてクリエイターの移住促進に力を入れています。2023年度は、ここ数年で鹿児島にUIJターンしたクリエイターの方々を中心に2人ずつ登場していただき、鹿児島へのUIJターンを経験した中でのおすすめポイント、苦労話やクリエイティブシーンについて対談していただいています。全4回の動画で生の声をお届けしていますので、是非ご覧ください。

公開日時:2023/09/12

佐藤孝洋

宮崎県出身。10年前鹿児島にIターン。
ファッションブランド〈最中/sanaka〉を立ち上げ、鹿児島を拠点とし九州を中心に活動。
「好転する民族服」と云うコンセプトを掲げ、日本の民族服「着物」の在り方をベースとした衣服の新しい形を考案。ジェンダーや年齢を問わないものづくりを目指し、先代の記憶が残る、新たな生活様式を選択肢としてつくることを目的とした活動を行う。
https://www.instagram.com/sa_na_ka___/

黒丸玲奈

鹿児島県出身。切り絵作家。
大分県立芸術文化短期大学 工芸科卒
川島テキスタイルスクール 本科修了
染色を学ぶ中で型を切ることに出会う。染め、織り、着物製作の経験を積み大島紬を学ぶため移住した奄美で、自然や文化、伝統から多くの刺激を受け、人との出会いをきっかけに切り絵制作を始める。
オリジナルや、オーダー作品など切り絵での表現を広げている。
鹿児島市在住。
https://www.instagram.com/kiri_works/

■現在の活動とライフスタイルなどについて

黒丸:こんにちは、よろしくお願いします。

佐藤:こんにちは、よろしくお願いします!

黒丸:鹿児島市で「kiri works」という屋号で切り絵作家をしている黒丸玲奈と申します。鹿児島生まれです。親の転勤で鹿児島県内の色々なところで育ったのですが、進学を機に大分に引っ越し、その後京都へ行ったり、奄美大島で大島紬を勉強したりしました。切り絵は奄美大島にいた時に始めました。そして、13年くらい前に鹿児島市にUターンで戻ってきました。

佐藤:鹿児島市名山町にレトロフトという場所があり、そこでお店もしながら「最中(sanaka)」という屋号で服を作っています。僕自身は宮崎出身で、色々なところを転々として、鹿児島へは10年くらい前にIターンで来ました。自分が織っていた大島紬の展示をきっかけに鹿児島に住むようになって、今は鹿児島を拠点に九州各地を回りながら展示販売会などをして生活しています。

■UIJターンのきっかけについて

黒丸:小さい頃から、親の転勤で鹿児島の各地で暮らしながら育ちました。その後、短大への進学で県外へ出て、大分へ行ったり、京都へ行ったり、あちこちへ行って、最終的に奄美大島で大島紬を勉強していました。着物が大好きだったのですが、大島紬で食べていく難しさは感じていましたね。
奄美に住んで伝統芸能や食べ物など、色々な刺激を全身に浴びていたら、何か別のもので表現がしたくなってしまって、それがきっかけで切り絵を始めました。
奄美にずっといようかなと思っていたのですが、その頃は今みたいにSNSが浸透していなくて、作品を発表する場はリアルなイベントがほとんどでした。それを考えると、「イベントがたくさんあるのも鹿児島市だなぁ」と感じて、そんなタイミングで家族からも「そろそろ帰ってきたら?」みたいな話もあったので、26歳の時に鹿児島市に戻ってきました。

佐藤:そうか、僕とはその後に出会っているってことなのか。

黒丸:うん、そうですね!孝洋くんはどうでした?

佐藤:僕はそれこそ玲奈さんと初めて出会った着物の反物とかの展示の時に、鹿児島の人たちとも出会って、「あぁ、面白い人たちがいっぱいいるな」とか、「ものづくりに一生懸命な職人さんみたいな人が多いな」っていう印象がそこで芽生えました。それで、当時勤めていた工房を辞めた時に「この後どうしようかな?」と考え、実家の宮崎に帰るか?鹿児島に行くか?で迷った結果、鹿児島に来たのがきっかけですね。その時出会った人たちと今も仲良く、長く付き合えていることを思うと、「鹿児島にはいい人たくさん居るよな」と感じます。

■暮らしについて

黒丸:鹿児島に引っ越してきてもう10年ぐらい?実際のところどうですか?住みやすさとか。

佐藤:僕自身、暖かい環境とか過ごしやすい気候の方が作業パフォーマンスが上がって、暮らしが充実している方が良いものをつくれるタイプというのを自覚しているので、温泉に行ったり、美味しいご飯屋さんに行ったりなど、そういう環境が近い鹿児島はすごく住みやすいと感じていますね。
玲奈さんはどうですか?

黒丸:私は今、子供が2人いてちょっとお休み期間をとっていたのですが、ここ2〜3年でまた仕事を少しずつ再開し始めました。
今はまだ子供が小さいので子供中心の暮らしですが、鹿児島は自然が近く、海も山もある環境はすごく子育てには向いていると思います。鹿児島市と言っても広いので、中心地へ行けばそこで楽しめるイベントがあり、ちょっと郊外に行けば森も川も山も海もあります。
ものづくりをする上で、子供たちと遊んだり、自然を感じることはすごく良いインプットになり、作品に生かせることなので、今はそういう時期だと思って、この時間を楽しもうと思っていますね。

佐藤:僕はまだ子供がいる状態ではなく、自分たちの基準で動けるので、現在は鹿児島を拠点にして九州各地を回りながら展示ができているし、ゆくゆくは海外とかも考えています。でも今後、(子供がいる)家族という体制になったら今みたいな動き方は出来ないなと思うので、ちょっと焦ったりしています。すぐに新しい体制づくりはできないと思うし。

黒丸:それはきっと移住するタイミングも重要で、仕事の進み具合によってもだいぶ違うと思う。私も最初は一人で移住というか、帰ってきたので、(家族の構成や仕事の状況などは移住に)だいぶ影響すると思います。

■仕事について

黒丸:私が鹿児島に帰ってきた十数年前は、SNSもやっと色々と出てきたくらいの時期で、まだリアルの方が強く、異業種交流会みたいな催しが頻繁に行われていたので、そういう場にたくさん行っていました。
やっぱり『人に会うこと』が大切。枠を決めずに全く違う業種、例えば建築業とか飲食業とか、そういう人たちと出会って繋がったことが、その後の仕事に直結しています。そこで出会った人に「こんなお仕事どうですか?」とメッセージをいただいて、「やらせてください」という流れで決まるお仕事が多いです。
2019年に九州と沖縄で限定発売されたキリン一番搾りのラベルのお仕事も、その時期に知り合っていた方からのお声掛けでした。ちょうど子育てでお休みしていたのですが、話を聞いて、奄美に住んでいたという愛着もあるし、何か恩返ししたいなという気持ちもあったので「今、活動お休みしているのですが、是非やらせてください!」と言ってやらせていただきました。その当時たくさん出席していた交流会や、今よりも自由に動けていた独身時代に出会った人とのご縁が、今のお仕事に繋がっているなという感じです。

佐藤:(直接的に出会う)アナログな関係性もある一方で、今はSNSで出会ってSNSきっかけで見に来てくれる人もいると思うんですけど、出会い方としては、両方とも多いですか?それともアナログというか直接的な出会いを、より大事にしている感じが強いですか?

黒丸:直接的な出会いの方が私は強いかな。「イベントに出ませんか?」って声を掛けていただいて、その会場で知り合いになって、それがまた次のイベントに繋がったり、お仕事に繋がったりということが多いですね。
孝洋くんは、仕事はどうですか?

佐藤:それこそ、さっき玲奈さんが「大島紬で食べていく難しさ」と言っていましたが、僕も大島紬を織っていたから同じだなと思って聞いていて。着物を織ってちゃんと生活できるようになるには、まず着物を着る人がいないと仕事にならない。でも、みんな着物を買うかって言ったらそんなに買う機会も少ないし、現在タンスの肥やしとなっている着物がある中で、「新しいものを得よう」とはならないだろうなと考えたから、今のこの活動に至っています。でも、「この着物を本当は大切にしたいけど、私のライフスタイルには合わない」みたいなジレンマな思いを感じている人は全国各地で結構いて、その人たちに「最中」という活動はハマっていると思います。「鹿児島で」と限定して活動を行ってもいいのですが、今は動ける範囲内で動きながら活動している感じなので、あまり限定はしていないですね。
みんな同じ服を着るのも変だと思うし、幅広いところで選んでもらった方がいいなと思うから、今はこの動き方で合っているのかなと感じます。そのため、鹿児島での仕事は逆に少なくて、展示をする機会はあるのですが、「知ってもらえてないのではないか?」と感じることは結構ありますね。

黒丸:まだまだ余白がいっぱい!

佐藤:そうですね、余白がある感じはするかもですね。それこそリアルな出会いがまだ少ないかなとは感じているので、自分も玲奈さんみたいにそういう場に積極的に顔を出すことが必要かな?とふと思う時はあります。

■未来について

黒丸:子育てをしながらというのが大前提なので、そこはやはり一番大事にしたいポイント。でも、子育てしつつも、ちょっとずつのチャレンジというか、新しいことはしていきたいし、色々な人との「はじめまして!」という出会いをもっとたくさんしたいです。また、切り絵が持つイメージを、私の切り絵でちょっと変えたい。「こんなのも切り絵なんだね!」と言ってもらいたい。なので、見ていただける機会をもっと増やしていきたいなと思っています。

佐藤:そうだったんだ!それは展示やイベント出展、グループ展とかを行いたいということ?

黒丸:もちろんそれもあるし、お仕事としても多くの人に認知していただけるような案件を頑張っていきたいなと思っています。

佐藤:お仕事を依頼したら、素直に求めていることに応えられるタイプですか?

黒丸:うーん、そこについては、ちょっと地方の弱点も関係あるかもしれないなぁ。都会だと“イラストレーター”というと、イラストに特化したお仕事をする人のことをいうけれど、私は“切り絵作家”と言いつつ、ただ切り絵だけを製作しているだけではダメで、鹿児島に帰ってきてからは「デザインできますか?」とか、「こういうデザインして欲しいんですけど」って求められることが結構多くて。でも私のスキルがまだそこまで追いついていない部分もあって、お断りすることもあるし、事情を説明して「それでもお願いします」って言ってくださる方もいるので、そういう時は自分も勉強しながらスキルアップしつつ、ちょっとずつ仕事の幅を広げていけたらいいのかなと思って頑張ります。
孝洋くんと一緒に展示とかもまたやりたいね。

佐藤:そうね、今までも何度かご一緒しているし、これからもやっていきたいですね!

黒丸:横の繋がりというか、広がっていくようにじわじわ繋がっていけるともっといいのかな〜って感じ。

佐藤:そうですよね。結局作家って孤独な時間もないと作品をつくれないと思う。だけど孤独だけだと「点」でしかなくて、たまにその「点」同士が近いところに集まってイベントとか、展示とかで時間を共有するのはすごく重要だなと思う。
その孤独の時間の生活環境もすごく重要だから、鹿児島というエリアで温泉に入って、美味しいご飯を食べたりしながらやっていきたいなと思う。
僕個人のビジョンとしては、今、鹿児島で生きているから、鹿児島の人たちとももう少し関わっていきたいとは思っていますね。
でも、今やっていることはファッションブランドとしてのセオリーに乗っていない行為で、普通だったら東京でバンバン売って、ショーをやったりするけれど、そういう方法をあえてやっていないところがあるので、ちょっと伝わり難いところがあると思います。「最中」がやっている服のあり方とか売り方は、着物という今あるものを解くところからやっているから、それがひとつの形として伝わっていくといいなと思っているし、伝わっていけば自然と家にあるものでオーダーを受けたりとかもできるようになっていくと思う。いずれ、みんなが持っている着物も、あと10年20年でなくなっていくと思っているので、それを死に物狂いで「もらうんだ!」っていうのも変なので、「新しい着物」を織るっていうことにちょっとずつシフトしながらやっていけたらいいなと思っている。
そして、織るとなったら柄も考えないとならなくなるので、「柄を切り絵で」って話も未来的にはある。そういう時に切り絵とクロスしながらできたらいいなと思っています。

黒丸:いいですね。

■動画をご覧のみなさまへ。

黒丸:私は鹿児島出身なので、鹿児島の良さを生まれた時から感じていて、不便なところよりも良いところの方が勝っているのですが、やっぱりIターンJターンってなると、なかなか慣れないところも多いと思うんですね。なので、鹿児島でお仕事以外にも楽しめること、もちろん「子育てのため」とかもいいと思いますし、その楽しみながらやっていることが後のお仕事にも繋がっていくと思うので、好きなものを持って、楽しみながら、鹿児島と外とを繋ぐような気持ちで移住すると良いのかなと思います。

佐藤:僕はIターンだから、ずっと「移住者だね」っていう対応をされて、10年経っても対応される時はもちろんあるし、その言葉に「まだ受け入れられてないのかな?」って思う瞬間も時々ある。でもそれはどこへ行ってもきっとそうで、鹿児島以外に住んでいたとしても感じることだと思う。
今は鹿児島を拠点にして、東京だったり、大阪だったり、海外だったりに展示することができて、どこにいても生きやすい時代になったからこそ、住みやすさはすごく大事だと思う。鹿児島にいても寒いなっていう瞬間はいっぱいあるけど、暖かくて過ごしやすい時間の方が多くて、それはとてもいいことだと思うんですよね。それがきっとパフォーマンスに影響すると思うので、拠点として鹿児島を視野に入れてくれたら嬉しいなと思いますね。

黒丸:はい、思います!

佐藤:ありがとうございます。

黒丸:ありがとうございます。